白河だるま
白河だるまとは?
白河でのだるま文化の起源については、「瓦屋金七」が武州川崎大師で3年間修業したとされること、松平定信のお抱え絵師として活動した谷文晁がだるまの顔を描いて手本に与えたことなどの話が伝わっていることから、江戸時代後期頃にだるまが作られたと考えられます。
天明3年(1783)に天明の大飢饉の中で白河藩主となった松平定信は、谷文晁にだるまの意匠を描かせて産業振興政策の一つとして奨励したとされ、これにより白河だるまの原型ができあがったと伝えられています。
現在は市内横町に向かい合って立つ「佐川だるま製造所」、「白河だるま総本舗」の2店舗が大切に伝統を継承しています。
白河だるまの特徴
顔全体が福々しく眉には鶴、ひげは亀、あごひげは松、びんひげは梅が描かれ、さらに顔の下には竹を模様化した「鶴亀松竹梅」を取り入れた縁起の良いだるまです。
他の東北系のだるまに比べて丸みがあり、穏やかな顔立ちをしているのが特徴で、関東系のだるまに属するといわれます。ただし、大型の白河だるまには胴に宝船が描かれたものがありますが、これは東北系のだるまの特徴でもあり、関東系のたるまの北限とも考えられる白河だるまに東北系の影響が一部見られることは注目されます。
だるまの目については、かつては当初から目を入っているものが一般的でしたが、昭和に入ってからは次第に関東系のだるまの特徴である目を入れないだるまに販売の中心が移っていったようです。現在は購入時に片目(向かって右側)を入れ、願い事が叶うともう片方の目を入れる「目なしだるま」がほとんどとなり、翌年は一回り大きいだるまに買い換えるのが風習となっています。
色は、赤いだるまが基本ですが、最近では様々な趣向を凝らしたモダンで可愛らしいデザインのだるまも登場しています。