白河の名所
結城宗広の墓
ユウキムネヒロノハカ


結城宗広(ゆうきむねひろ)は、白河結城氏の祖、祐広(すけひろ)の子で、今から約680年前の南北朝時代初期に鎌倉幕府討伐などに活躍した武将です。
元弘3年(1333)、後醍醐(ごだいご)天皇の鎌倉幕府討伐の命に従って鎌倉を攻め、幕府を滅亡させ、建武の新政では陸奥(むつの)国(くに)支配の重要な役割を担いました。
その後、宗広は後醍醐天皇と対立した足利尊氏(たかうじ)の軍を京都などで破り、北朝(尊氏側)の成立後も陸奥国の南朝勢力(後醍醐天皇側)の中心として活躍しましたが、京都から帰国する際、伊勢国(三重県)で病没しました。享年七十余歳といわれています。
関川寺(かんせんじ)は結城家の菩提寺で、宗広の開基と伝えられています。ここはかつて結城氏の館だったと考えられる場所で、土塁や堀が遺されています。
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住所 | 白河市愛宕町94(曹洞宗 関川寺内) |
電話 | 0248-23-3538 |
見学時間 | 見学自由 |
料金 | 見学無料 |
駐車場 | あり |
その他情報 | 関川寺境内にあるおすすめ見学スポットとして、赤穂義士に加わった中村勘助妻の墓、戊辰戦争白河口の戦いで亡くなった棚倉藩・小池理八郎供養碑(東軍)、や仙台藩・石川大之進之墓(東軍)があります。また、桜の季節になると、本堂の前に「結城桜」が咲きます。 |