旗白河口で戦った主な隊士たち

戊辰の役白河口の戦いでは、多くの新選組隊士が戦いました。

菊地 央(きくち たのむ)
 元津軽藩士で慶応3年6月以降に入隊。慶応4年閏4月25日白河口の戦いで、 22歳の若さで戦死しました。
 白河市大工町の皇徳寺に「戦死人供養の碑」と並んで建っている墓標には、 側面に菊地央五郎、前面に誠忠院義勇英劔居士と刻まれています。
菊地央墓
(皇徳寺 菊地 央墓)
蟻通勘吾(ありどおし かんご)
 文久3年の入隊以来、池田屋事件、三条制札事件、天満屋騒動などで活動し、 慶応3年の幕府召し抱えでは平隊士として名を連ねました。5月1日の白河口の 戦いで腹部を撃たれ、戦友中島登の覚書には「白川黒川ニテ戦死」と書かれるほどの 重傷を負いました。
 その後函館に渡り、5月11日函館山で戦死しました。


斎藤 一(さいとう はじめ)
 文久3年3月入隊で3番組長。池田屋事件で活動したことは有名です。近藤勇が流山(現、 千葉県流山市)で投降した後、隊をまとめて会津へ向かいました。
 慶応4年閏4月〜7月の白河口の戦いでは、新選組隊長「山口二郎」として戦いました。
 その後敗戦を繰り返し、会津如来堂で敵に襲われたのを機に新選組を離れ、大正4年にこの世を去りました。
 享年72歳。


伊藤(伊東)鉄五郎(いとう てつごろう)
 元治元年入隊。慶応4年5月1日差図役として白河口で戦い戦死。中島登の「戦友絵姿」では 小旗を口にくわえ、石鳥居の台石に足をかけて傷口を押さえる伊藤の姿が描かれています。
 東京都北区滝野川の新選組慰霊碑にその名が刻まれています。


横山鍋二(三)郎(よこやま なべじろう)
 慶応4年3月入隊の新兵で白河口の戦い初戦で戦死しました。
 東京都北区滝野川の新選組慰霊碑に名前が刻まれています。