旗白河ゆかりの隊士

沖田総司(おきた そうじ)
 奥州白河藩士沖田勝次郎の子。義兄・林太郎は、安政6年11月まで白河藩に在籍しました。
 総司本人が藩に籍を置いた記録はありませんが、当時の新選組関係者の記録には「白川脱藩」 「白川浪人」などと書かれています。
 総司は、江戸の白河藩阿部家下屋敷で生まれ、文久3年の壬生浪士隊結成からの入隊で一番組長 として池田屋事件などで活動しますが、鳥羽伏見の戦いの時には既に肺結核のため戦列を離れています。
 慶応4年5月30日江戸で病死。墓は東京都港区元麻布の専称寺にあります。


松原幾太郎(まつばら いくたろう)
 慶応元年4月に入隊後、油小路事件、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦などで活動しましたが、 甲州勝沼の戦いで負傷した後、江戸において隊を離れます。後に、上野彰義隊に加わり、 5月15日上野の戦いで鉄砲傷を負います。
 戦後、白河町(現、白河市)円明寺に移り住み、漢学塾を開いていましたが、明治28年に 娘婿を頼って上京します。数年後白河に戻り、大正12年にこの世を去りました。
 享年77歳。