旗 新選組ゆかりの地

 慶応4年(1868)閏4月から7月にかけてのおよそ100日間に渡る戊辰の役
白河口の戦いのうち、新選組は閏4月22日から5月1日まで白河に滞在して戦い、その後も数度に渡り白河周辺に出陣しています。
 白河市内に点在する新選組ゆかりの地をご紹介します。

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白河市内地図

脇本陣「柳屋」 (本町)
 本陣は、大名、幕吏、勅使などの宿舎ですが、脇本陣とは本陣に次ぐ格式の旅籠をいいます。
 白河口の戦いでは、この脇本陣である「柳屋」が新選組の宿舎になりました。
 柳屋は、明治14年の明治天皇東北巡幸の際、往路は休憩所として、帰路は宿泊された宿です。
 翌年の大火で柳屋も被害を受けましたが、明治天皇の行在所にあてられた土蔵は焼失を免れ、現在も市内本町に残っており、「明治天皇行在所跡の碑」とともに建っています。
脇本陣「柳屋」
「諸国道中商人鑑」
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稲荷山・戊辰の役古戦場跡 (松並)
戦死墓  慶応4年(1868)閏4月25日早朝、薩摩・長州・大垣藩などの兵約200人が白河口を攻撃してきました。会津・仙台・棚倉藩の兵が白河小峰城の南西方向にある稲荷山に陣を取り、一旦敵を退けますが、5月1日再び攻撃を受け、会津藩家老西郷頼母を総督として迎え撃ちましたが、壮絶な戦いにより、この日だけで約700名もの戦死者を出し敗走しました。
 この地は白河口の戦いの激戦地で、現在、南側には「長州大垣藩戦死六人之墓」が、また、北側には「会津藩戦死墓」と松平容保公の題字による「銷魂碑」があります。
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皇徳寺(こうとくじ) (大工町)
 皇徳寺には「戦死人供養の碑」の横に、白河口の戦いで戦死した新選組隊士菊地央の墓が並んで建っています。 戦死人供養の碑
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鎮護神山(ちんごじやま)(郭内)
戊辰薩藩戦死者墓  白河小峰城の東にある鎮護神山には、大正4年に建てられた「戊辰薩藩戦死者墓」があります。
 この墓は、長寿院(白河市)・花見坂(白河市)・三春(現、三春町)・磐城(現、いわき市)・平(現、いわき市)に埋葬されていた戦没者を合葬したもので、台石には元新選組隊士清原清(改め 武川直枝)の名前が刻まれています。
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小峰城 (郭内)
 興国元年(1340)に結城親朝が小峰ヶ岡に城を築いたのが始まりで、丹羽長重が、幕命を受けて寛永6年(1629)に城の大改修をしました。
 城郭のほとんどは戊辰の役で焼失し、堀と石垣の一部が現存しています。近年、天守閣と前御門が当時の絵図を基に忠実に復元されました。
 天守閣の復元には稲荷山の杉材を使用したため、柱や腰板に戊辰の役当時の弾痕が残っており、当時の戦いの激しさを今に伝えています。
小峰城
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